【平成29年度青年部主張発表会中ブロック大会発表内容】
皆さん、こんばんは。
富田林商工会、青年部 名里陽(なざとあきら)と申します。
わたくしは、平成26年5月に地元、富田林商工会へ入会し、
その年の9月に、青年部へ、入部いたしました。
翌年、27年度には、役員に任命され、
4年目を迎える本年度は、総務委員会の委員長をさせて頂いております。
早速ですが、皆さまは
ご在籍している「商工会の扉」を、
初めて、開けた日の事を、
覚えていらっしゃいますでしょうか?
何歳の時に、どんな気持ちで、何がきっかけで、
商工会を訪れましたでしょうか。
私は、初めて訪れた、
その日の事を今でも鮮明に覚えております。
39歳。「当時の私の」「経営は芳しくなく」、
我、ここにあらずの状態で、
呆然と訪れた、商工会。
入口の扉は、すりガラス。中は見えません。
どんな所かも分からず、前に立ち、手すりを持ち、
扉をあけました。
その時の私の気持ちを、
一言で表わすと「どん底」でした。
経営に、そして、
これからの、残りの人生に対しても「不安」で、
毎日押しつぶされそうでした。
そんな私が、
商工会へ入会し、そして、青年部へ入部し、青年部活動を通し、
あの時の自分から、どのように成長をさせて頂いたのか。
青年部の、若手経営者の先輩方が、積み重ねてきた多くの事業を、
私が担当させて頂いた経験をまじえ、お伝えさせて頂きたいと思います。
私が加入しております、その富田林商工会青年部は、
大阪府の南東部である、富田林市、河南町、太子町、千早赤阪村の
1市・2町・1村からなり、
6月末現在の部員数は、68名を誇ります。
近年の入部者数は
一昨年は8名。
昨年、平成28年度は、15名となっており、
「青年部員増強運動」で、近畿2位として表彰を頂くことができました。
事業としては、
年間13件の活動があり、
内、昨年の10月に新しくスタートした「観光促進事業」のひとつ、
ご当地アイドルユニット「河内天誅組」では、
5回の外部イベントへ招かれるなど、
部、内外共に、積極的な事業活動を行っております。
今でこそ、このように青年部活動について説明が出来るまでになりましたが、
入部当初の私の気持ちは、先にも触れましたとおり「どん底」におり、
自分の商売や、自分の事だけに必死で、青年部事業の内容が
把握出来ずにおりました。
思いで深く覚えておりますのは、
入部した翌月の研修会へ参加した時の事です。
各事業所の課題や悩みを打ち明ける、
グループディスカッション方式の研修会。
それも、今となっては良い想い出ですが、
当時、私の心は、ポッキリ折られる。そんな研修の時間でした。
テーブルに置かれた模造紙に、
自分の事業所の、今の悩みを記入し、それをグループで解決する。
私は、39歳新入部員、会う方全員が初めての先輩方です。
変なプライドもあり、
自分の悩みをさらけ出すのが恥ずかしく、
少しだけ、
しかも模造紙の端の方に、
目立たないよう、
小さい文字で悩みを書きました。
すると、それに触れられたくない自分の思いとは裏腹に、
・グイグイ聞かれて、
・正論でドンドン突っ込まれて。
・ますます追い込まれます。
「どん底」の気持ちの下に、
まだ下が、隠れていたのかと、
自分の未熟さを、ただただ痛感させられる時間。
その時、
一緒に相談させて頂いた、部員の皆様が、
本日も応援に来て頂いておりますが、
失礼ながら、その時に感じていた思いは、
ずばり、「疎ましくて仕方が無い」でした。
ところが、
時間が経つにつれ、その場の雰囲気にも慣れ、ふと、会場内に目を向けますと、
これだけの人数の経営者の先輩方が、集まり熱心に議論している姿。
熱い集団の中に、身を置くことで、
研修の終盤、それに巻き込まれている自分に、
こんな気持ちが、芽生えていました。
1つめ.自分の事を思ってアドバイスをしてくれている人の話しを、
素直に聞けていない自分。
2つめ.そもそも、誰もお願いしていない。
自分が望んで、この場に来ている事。
きっと、自分が変わる何かが、この熱気にはあるのではないか?
そう思えてからは、
青年部とは、何をする団体なのか?
とりあえず、指導員に勧められるまま入部したものの、
何も分かっていない事を、勿体なく感じ、
青年部活動への関心と想いが深まって行く事となりました。
翌年の春、入部2年目の私に、
役員をしてみないかと、当時の部長から、お話を頂きました。
自分が名を連ねる事は、
受け入れられるのだろうかと言う、心配もありましたが、
「青年部活動が分かっていない。だからこそ、役員をすることで、より青年部活動への理解が深まるのではないか。」
また、「そういう、共に考える仲間を増やしたい。」その様に、私を諭してくださいました。
そして、取りあえず、1年間、
できるだけ、休まずに役員として事業に参加してみよう、そう決めました。
それからは、
交流会や清掃活動、
観光促進事業、
展示会と様々な事業に参加致しました。
そんな中、私にも、
役割が課せられました。
大阪勧業展の実行委員長や、
年に一度の、商工会をあげたイベントである、
「商工祭」の実行委員長です。
会議中、何となく、部長と目があい、「名里君、やったらど~お~」
と言うのが実態ではございましたが、担当をさせて頂きました。
昨年の11月に行われた、その、商工祭では、
初の大きなイベントの実行委員長であり、
分からない事だらけの中で、
巡り合わせの関係で、地元地域の「秋祭り」と日程が重なる事となりました。
青年部員の多くの皆様は、地元地域の祭りでも、
重要な役割を務めている方が多く、
当日の運営スタッフが集まるのかどうか。
と、いう事態に陥りました。
その、前年度の商工祭。運営スタッフとして参加していた私は、
青年部員が、ほぼ休憩もなく、来場者の対応をしていた事を経験していたので、
少人数で、回せるだろうかと、不安な気持ちでおりました。
しかし、その心配は全くいりませんでした。
その事を聞きつけた部員のみなさんが、
・午前中だけなら、段取りつけれそうやから、それでもいいかなぁ。
・お昼少しだけで悪いけど、みんなが休憩とる間、回しとくから。
と、沢山の方から、お声がけや、お力をお貸し頂き、
無事、円滑にイベントを行える役割分担を振り当てる事ができました。
しかも、当日は、各エリアで、
段取り良く、
そして臨機応変にご対応頂き、
青年部のブースは、
多くのお客様にご来場いただき、
会場に入らないほどの満員な状況の中、無事に終了する事が出来き、
青年部の、ここぞと言うときに、一丸となる、その力に「感動」した事を覚えています。
こうした、活動に参加すること、また担当持たせて頂くことで、
「青年部」が何をする集まりなのが、少しずづ分かってくることとなりました。
一言で、青年部員と言えど、
・長く青年部活動にかかわっている方、
・実は私と同じ年に入部した方、
・お仕事が忙しく、たまにしか会えない方、
様々な環境や、ご経験をお持ちの事がいらっしゃる事が解り、
また、会議に参加していても、当初は(ちんぷんかんぷん)だった、
話している「言葉」や「単語の意味」が分かってくると、
先輩方が、青年部活動に、
それぞれの誇りや想いを持って参加してることを、
更に感じる事ができるようになってきました。
今年の5月、平成28年度総会。
当時、あの時、疎ましく感じたグループディスカッションの中で、
一番突っ込まれた先輩であった、部長に舞台に呼ばれ、
「一年間、名里君は最も出席率が高く、頑張ってくれました!』と、
「部長賞」と言う、それまでに無かった部員の賞を頂きました。
部長が自らが、手書きで書いてくださった表彰状を見ると、
あの時の事を思いだし、青年部活動を通じて、
こうやって成長をさせて頂いたんだなぁと、
「感謝」の気持ちを感じざるを得ません。
そして、今回の主張発表会は、自ら立候補をさせて頂きました!
それは、「どん底」な気持ちで自分の事しか考えられなかった私が、
人に「感謝」の気持ちを抱けるまでに変わることができた。
そのど真ん中にあった、青年部活動を通じて、
私が経験したこと、手に入れた事を伝えたい。との想いからです。
私は、青年部活動を始めて3年。
毎年ひとつづつ、手に入れている事があります。
1年目【勇気】。これから、何が何でも経営を発展させるぞ!と言う【勇気】
2年目【仲間】。じつは、同じ悩みや、それを乗り越えてきてた。
同じ痛みを分かちあえるからこそ、本気で助言、進言してくれる【仲間】
3年目【繁栄】。1、2年目で手に入れた勇気と、仲間と言う財産を元に、
着実に進展している自身の経営の【繁栄】です。
そして卒業まで、今年を入れて残り3年、
今後の3年は、恩返しをする期間だと考えています。
社長・事業主として、
一人で、「どん底」の気持ちで、日ごろ悩まれ、
でも、戦いつづけていらっしゃる若手経営者の皆様が、
私がそうであったように、
地域には、まだまだ沢山いらっしゃると思います。
「青年部」と言う団体に一人でも多の方が気づき、興味を持ち、
共に学び、共に高め合い、共に感動し。共に感謝し合う。
それぞれの事業を躍進させる、仲間をつくる大切な場所、「青年部!」
更に、更に、あらゆる意味で進化し、
経営者を育てる団体として、次の世代に残すことに、
微力ながら、尽力をしたいと考えております。
以上で私の発表を終わります。
皆様、ご清聴頂き、誠にありがとうございました。
皆さん、こんばんは。
富田林商工会、青年部 名里陽(なざとあきら)と申します。
わたくしは、平成26年5月に地元、富田林商工会へ入会し、
その年の9月に、青年部へ、入部いたしました。
翌年、27年度には、役員に任命され、
4年目を迎える本年度は、総務委員会の委員長をさせて頂いております。
早速ですが、皆さまは
ご在籍している「商工会の扉」を、
初めて、開けた日の事を、
覚えていらっしゃいますでしょうか?
何歳の時に、どんな気持ちで、何がきっかけで、
商工会を訪れましたでしょうか。
私は、初めて訪れた、
その日の事を今でも鮮明に覚えております。
39歳。「当時の私の」「経営は芳しくなく」、
我、ここにあらずの状態で、
呆然と訪れた、商工会。
入口の扉は、すりガラス。中は見えません。
どんな所かも分からず、前に立ち、手すりを持ち、
扉をあけました。
その時の私の気持ちを、
一言で表わすと「どん底」でした。
経営に、そして、
これからの、残りの人生に対しても「不安」で、
毎日押しつぶされそうでした。
そんな私が、
商工会へ入会し、そして、青年部へ入部し、青年部活動を通し、
あの時の自分から、どのように成長をさせて頂いたのか。
青年部の、若手経営者の先輩方が、積み重ねてきた多くの事業を、
私が担当させて頂いた経験をまじえ、お伝えさせて頂きたいと思います。
私が加入しております、その富田林商工会青年部は、
大阪府の南東部である、富田林市、河南町、太子町、千早赤阪村の
1市・2町・1村からなり、
6月末現在の部員数は、68名を誇ります。
近年の入部者数は
一昨年は8名。
昨年、平成28年度は、15名となっており、
「青年部員増強運動」で、近畿2位として表彰を頂くことができました。
事業としては、
年間13件の活動があり、
内、昨年の10月に新しくスタートした「観光促進事業」のひとつ、
ご当地アイドルユニット「河内天誅組」では、
5回の外部イベントへ招かれるなど、
部、内外共に、積極的な事業活動を行っております。
今でこそ、このように青年部活動について説明が出来るまでになりましたが、
入部当初の私の気持ちは、先にも触れましたとおり「どん底」におり、
自分の商売や、自分の事だけに必死で、青年部事業の内容が
把握出来ずにおりました。
思いで深く覚えておりますのは、
入部した翌月の研修会へ参加した時の事です。
各事業所の課題や悩みを打ち明ける、
グループディスカッション方式の研修会。
それも、今となっては良い想い出ですが、
当時、私の心は、ポッキリ折られる。そんな研修の時間でした。
テーブルに置かれた模造紙に、
自分の事業所の、今の悩みを記入し、それをグループで解決する。
私は、39歳新入部員、会う方全員が初めての先輩方です。
変なプライドもあり、
自分の悩みをさらけ出すのが恥ずかしく、
少しだけ、
しかも模造紙の端の方に、
目立たないよう、
小さい文字で悩みを書きました。
すると、それに触れられたくない自分の思いとは裏腹に、
・グイグイ聞かれて、
・正論でドンドン突っ込まれて。
・ますます追い込まれます。
「どん底」の気持ちの下に、
まだ下が、隠れていたのかと、
自分の未熟さを、ただただ痛感させられる時間。
その時、
一緒に相談させて頂いた、部員の皆様が、
本日も応援に来て頂いておりますが、
失礼ながら、その時に感じていた思いは、
ずばり、「疎ましくて仕方が無い」でした。
ところが、
時間が経つにつれ、その場の雰囲気にも慣れ、ふと、会場内に目を向けますと、
これだけの人数の経営者の先輩方が、集まり熱心に議論している姿。
熱い集団の中に、身を置くことで、
研修の終盤、それに巻き込まれている自分に、
こんな気持ちが、芽生えていました。
1つめ.自分の事を思ってアドバイスをしてくれている人の話しを、
素直に聞けていない自分。
2つめ.そもそも、誰もお願いしていない。
自分が望んで、この場に来ている事。
きっと、自分が変わる何かが、この熱気にはあるのではないか?
そう思えてからは、
青年部とは、何をする団体なのか?
とりあえず、指導員に勧められるまま入部したものの、
何も分かっていない事を、勿体なく感じ、
青年部活動への関心と想いが深まって行く事となりました。
翌年の春、入部2年目の私に、
役員をしてみないかと、当時の部長から、お話を頂きました。
自分が名を連ねる事は、
受け入れられるのだろうかと言う、心配もありましたが、
「青年部活動が分かっていない。だからこそ、役員をすることで、より青年部活動への理解が深まるのではないか。」
また、「そういう、共に考える仲間を増やしたい。」その様に、私を諭してくださいました。
そして、取りあえず、1年間、
できるだけ、休まずに役員として事業に参加してみよう、そう決めました。
それからは、
交流会や清掃活動、
観光促進事業、
展示会と様々な事業に参加致しました。
そんな中、私にも、
役割が課せられました。
大阪勧業展の実行委員長や、
年に一度の、商工会をあげたイベントである、
「商工祭」の実行委員長です。
会議中、何となく、部長と目があい、「名里君、やったらど~お~」
と言うのが実態ではございましたが、担当をさせて頂きました。
昨年の11月に行われた、その、商工祭では、
初の大きなイベントの実行委員長であり、
分からない事だらけの中で、
巡り合わせの関係で、地元地域の「秋祭り」と日程が重なる事となりました。
青年部員の多くの皆様は、地元地域の祭りでも、
重要な役割を務めている方が多く、
当日の運営スタッフが集まるのかどうか。
と、いう事態に陥りました。
その、前年度の商工祭。運営スタッフとして参加していた私は、
青年部員が、ほぼ休憩もなく、来場者の対応をしていた事を経験していたので、
少人数で、回せるだろうかと、不安な気持ちでおりました。
しかし、その心配は全くいりませんでした。
その事を聞きつけた部員のみなさんが、
・午前中だけなら、段取りつけれそうやから、それでもいいかなぁ。
・お昼少しだけで悪いけど、みんなが休憩とる間、回しとくから。
と、沢山の方から、お声がけや、お力をお貸し頂き、
無事、円滑にイベントを行える役割分担を振り当てる事ができました。
しかも、当日は、各エリアで、
段取り良く、
そして臨機応変にご対応頂き、
青年部のブースは、
多くのお客様にご来場いただき、
会場に入らないほどの満員な状況の中、無事に終了する事が出来き、
青年部の、ここぞと言うときに、一丸となる、その力に「感動」した事を覚えています。
こうした、活動に参加すること、また担当持たせて頂くことで、
「青年部」が何をする集まりなのが、少しずづ分かってくることとなりました。
一言で、青年部員と言えど、
・長く青年部活動にかかわっている方、
・実は私と同じ年に入部した方、
・お仕事が忙しく、たまにしか会えない方、
様々な環境や、ご経験をお持ちの事がいらっしゃる事が解り、
また、会議に参加していても、当初は(ちんぷんかんぷん)だった、
話している「言葉」や「単語の意味」が分かってくると、
先輩方が、青年部活動に、
それぞれの誇りや想いを持って参加してることを、
更に感じる事ができるようになってきました。
今年の5月、平成28年度総会。
当時、あの時、疎ましく感じたグループディスカッションの中で、
一番突っ込まれた先輩であった、部長に舞台に呼ばれ、
「一年間、名里君は最も出席率が高く、頑張ってくれました!』と、
「部長賞」と言う、それまでに無かった部員の賞を頂きました。
部長が自らが、手書きで書いてくださった表彰状を見ると、
あの時の事を思いだし、青年部活動を通じて、
こうやって成長をさせて頂いたんだなぁと、
「感謝」の気持ちを感じざるを得ません。
そして、今回の主張発表会は、自ら立候補をさせて頂きました!
それは、「どん底」な気持ちで自分の事しか考えられなかった私が、
人に「感謝」の気持ちを抱けるまでに変わることができた。
そのど真ん中にあった、青年部活動を通じて、
私が経験したこと、手に入れた事を伝えたい。との想いからです。
私は、青年部活動を始めて3年。
毎年ひとつづつ、手に入れている事があります。
1年目【勇気】。これから、何が何でも経営を発展させるぞ!と言う【勇気】
2年目【仲間】。じつは、同じ悩みや、それを乗り越えてきてた。
同じ痛みを分かちあえるからこそ、本気で助言、進言してくれる【仲間】
3年目【繁栄】。1、2年目で手に入れた勇気と、仲間と言う財産を元に、
着実に進展している自身の経営の【繁栄】です。
そして卒業まで、今年を入れて残り3年、
今後の3年は、恩返しをする期間だと考えています。
社長・事業主として、
一人で、「どん底」の気持ちで、日ごろ悩まれ、
でも、戦いつづけていらっしゃる若手経営者の皆様が、
私がそうであったように、
地域には、まだまだ沢山いらっしゃると思います。
「青年部」と言う団体に一人でも多の方が気づき、興味を持ち、
共に学び、共に高め合い、共に感動し。共に感謝し合う。
それぞれの事業を躍進させる、仲間をつくる大切な場所、「青年部!」
更に、更に、あらゆる意味で進化し、
経営者を育てる団体として、次の世代に残すことに、
微力ながら、尽力をしたいと考えております。
以上で私の発表を終わります。
皆様、ご清聴頂き、誠にありがとうございました。
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